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空の境界 第五章 矛盾螺旋[ムジュンラセン](アニメ映画)

2008年8月16日
★★★★★ 4.2 (852)
4891人が棚に入れました
1998年10月、両儀式はふとした事から臙条巴という自称人殺しの家出少年と知り合う。式は巴の隠れ家に自室を提供し共同生活を送り始めるが、しばらくして巴は自分の親殺しの罪を告白する。奇しくも蒼崎橙子から似たような事件の詳細を聞いていた式は、巴とともに臙条家のある小川マンションへ向かう。

声優・キャラクター
坂本真綾、鈴村健一、本田貴子、藤村歩、東地宏樹、中田譲治
ネタバレ

入杵(イリキ) さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

空の境界中、最難関にして最上の作品。困難を乗り越えて理解して欲しい本作の神髄

か「空の境界」は奈須きのこによる、同人誌に掲載された長編伝奇小説である。全7章で構成され、本作は第五章「矛盾螺旋」が映像化された。「そらのきょうかい」でも「くうのきょうかい」でもなく、「からのきょうかい」なのでお間違えの無い様に。
略称は「らっきょ」。

「空の境界」は奈須きのこの小説だが、奈須きのこと武内崇の所属する同人サークル(現在は有限会社Noteのブランド)「TYPE MOON」の作品に「月姫」、「Fateシリーズ」などがあり、「空の境界」と世界観を共有している。奈須氏によると「微妙にズレた平行世界」とのこと。


劇場版「空の境界」は圧倒的な映像美、迫力満点の戦闘シーンと、難解且つ素晴らしい世界観を、原作小説を忠実に再現し映像化したufotableの力作である。
本作のメインテーマは「境界」である。相反する二つのものに関するメッセージが緻密に組み込まれている。
その各々に対する矛盾もまたテーマの一つだ。
奈須氏の命の重さ、禁忌を主題とした本作の完成度には脱帽するばかりである。
「生」と「死」、「殺人」と「殺戮」などについて考察するわけだが、テーマがこれであるから必然的にグロテスクな描写がある(しかも美しかったり)。
また、難解な言葉(辞書的意味では用いない)や、時系列のシャッフルにより、物語の理解はやや困難である。
しかし、この時系列シャッフルこそが「ミステリ」における叙述トッリクとして作用しているのである。
決して時系列の通りに見てはいけない(2度目からはご自由に)他にも、原作にはなかった「色分け」が行われている点も魅力的だ。式の服の色や、月の色なども見てみると楽しい。
全7章に渡って展開される両義式と黒桐幹也の関係も素晴らしい。
設定はここで説明するとつまらないので、作品を視聴することをお勧めしたい(丸投げであるが(笑))
副題のThe Garden of sinnersは直訳すると「罪人の庭」と言う意味。sinには(宗教・道徳上の)罪という意味があり、guiltの(法律上の)罪とは区別される。
Theの次のGardenが大文字であることから、これはギリシアの人生の目的を心の平静(アタラクシア)に見出した精神快楽主義のエピクロス学派を意味する。よってThe Garden of sinnersは快楽主義に溺れた道徳的罪人という意訳が適切ではないか。



第五章の本作は「空の境界」の時系列で、全7章のうち5番目にあたる作品だ。本作の視聴で第一章から第四章までの殆どの伏線を回収し、荒耶宗蓮の物語は終結する。
本章は「空の境界」という作品の肝であり、本作を荒耶宗蓮の野望を主題とするならば、
第六、七章は本章の残滓と言っても過言では無い。なぜならば、一章から四章の伏線や、
これまでの両儀式に纏わる物語は全て彼の計画の完遂の為に周到に準備されたものだからだ
(しかし、荒耶が手薬煉を引く前に式や橙子に見つかったので、計画を前倒しにしているきらいもある)。
内容は非常に理解に面倒で、予備知識が必須である。また、時系列のシャッフルが本章では作品内で構成されている為、一度の視聴での理解は不可能である。
是非、二・三度視聴して、理解を深めて欲しい。
本章は原作と比較して描写が大幅にカットされており、半ば継ぎはぎ感を感じざるを得ない。しかし、完成度としては至極満足である。私が考えるに原作による補完は必須である。
(原作を読む上での注意:
1.言葉をそのままの意味で理解せず、状況から推測する。(例:二律背反)
2.作者の造語が理解の範疇を凌駕した場合は、採り合えず調べる。(例:死街)
3.作者の日本語が明らかに文法上誤りである箇所が多々見受けられるが、脳内補完する。
(修飾の該当箇所が明らかにおかしい。
例: その一連の映像は、古びた頁に挟まれ、書に取り込まれて平面となった押し花を幻想させた。
   ←その一連の映像は、古びた本の頁に挟まれ、平面(のように潰れた形)となった押し花を
   連想(或いは髣髴)させた。[()は無くても良い。]
  八月になった最初の夜←八月になって最初の日の夜)
4.本来の日本語に無い使用法が見受けられる。(例:幾多もの←幾多の/迫ったほど←迫る/迫った)
上記の例は全て一章俯瞰風景に依った。)
副題のParadox Paradigmは其のまま矛盾螺旋である。


考察←観る前に見ない様に。
{netabare}
時系列:5/8
1998年10月
両儀式:18歳 職業:高校生(サボりがち)
黒桐幹也:18歳 職業:大学中退 伽藍の堂に勤務

原作との相違:大(時系列のシャッフルや1度目の橙子VSアルバ戦のカットが目立つ)
原作との尺の比 417P:114min=1:0.40(1分当たり3.66P)
(一番原作との尺の長さの比が合致していると判断される2章の比を基準:1とする)
(原作の頁数は講談社文庫を用いる)

・「矛盾と螺旋」について
矛盾・・・contradictionの訳語。一方を立てようとすれば、他の一方が立たないという、くいちがった関係におかれる概念、または判断が対立して統一できない場合。
<韓非子>より楚の故事に由来。
螺旋・・・巻貝のようにぐるぐるまわっていること。

「空の境界」におけるこれら二つの言葉の意味

矛盾・・・人は宗教・哲学などから見て取れるように、絶対の理、永遠不滅の真理を求めようとする知的好奇心旺盛な生き物である。ソクラテスは無知の知を自覚し、真の知を求めることを重視した。仏教でも般若波羅密を知ることを求め、一切皆苦の厭世感から真理を追究した。哲学でも様々な興味深い分類が試みられている。
他方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教浄土系宗派など真理の追究を諦め、絶対的なものに縋ることにより救済されるという、知の探求を事実上放擲している宗教も存在する。また煩悩具足であることを寧ろ良い事と考え厭世感を持たない考えも蔓延っている。これは無知であることを否定し、無知である自己や世界を否定し、自己乃至世界を救うべく真理の探究をする姿勢と明らかに矛盾する。人間は真の叡智を求める一方、真の叡智を求めることを放擲或いは拒絶しているのだ。
共通する認識は、世界或いは自己が滅びることを絶対的に拒み、之を救わんが為に行動していることである。

螺旋・・・人の性である煩悩は祖先から子孫まで相違は無く、永遠に螺旋を描いてゆく。
繰り返される日常や人生は人間の進化進歩しない煩悩の螺旋であり、二重螺旋構造を持つ遺伝子の匣として定められた過程を営む。


・「荒耶宗蓮」について
荒耶宗蓮は、元は台密の僧(台密とは天台密教の略称)で、起源である「静止」を覚醒させている。此の起源により200年以上生きながらえおり不老不死である(肉体は人形)。前項の人類の矛盾を克服出来ないことを悔やみ、人間では解決出来ないことから「起源」を追求し人の存在意義を探求するに至った、現在の彼は、もはや『 』へ至る為の概念と化している。
『 』へ至った暁に彼は、人類の死を等しく肯定する為に人類を滅ぼし、新たな世界、死を等しく肯定出来る世界の構築を望んだ。
彼は人の存在意義を「生」ではなく「死」に見出し、どのような死を迎えるかを重要視する。魔術協会で同期の橙子が人形、つまり肉体を重視したことに対して、彼は魂、つまり精神を重要視した。「根源」追求の為に死の蒐集をしており、人の死を記録する実験を重ねている。
結界を構築する能力にも長け、橙子曰く魔法(後述)の域に達しているらしい。
また武術の達人でもあり、左手に埋め込まれた仏舎利により、他人から自分の死線を認識されることを防いでいる。橙子程ではないが人形師として相当の腕も持つ。
他にも他人の「起源」を認知し、覚醒させることも可能である。
「不倶」「金剛」「蛇蝎」「戴天」「頂経」「王顕」という六道境界を自身の周りに張巡らす。
境界にはサンスクリット文字が出てくる。


・「相克する螺旋で待つ」の意味について
二章殺人考察で述べた五行思想のもので、五芒星の外接円として、各頂点に接する円を描くと、五つの頂点が其々木火土金水となり、円の流れが「相生」、五芒星の線上の頂点を一つ飛ばした流れを「相克」と云う。
相克
1.対立・矛盾する二つのものが互いに相手に勝とうと争うこと。
2. 五行(ごぎょう)説で、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木にそれぞれ剋(か)つとされること。五行相克。相手を打ち滅ぼして行く、陰の関係。
という二つの意味がある。
因り相克する螺旋とは、先ほどの円が螺旋しており、バネの様にグルグルと廻っていて、さらにその円を相克の関係で崩れた五芒星を描きながら進む線分のことである。
ここでの相克は後述のアラヤと荒耶、小川マンションや、巫条霧絵、浅上藤乃{netabare}、白純里緒{/netabare}などに言えることだろう。


・「荒耶宗蓮の計画」について
前項の「根源」『 』へ至る為には荒耶自身の真理の追究(つまり魔術師の研究と同義)では達成出来ない。それは荒耶の真理の追究の目的が他の魔術師と異なり、人類を滅ぼすことに繋がる事案である為、「抑止力」(後述)による制約を受けてしまうからである。
よって、肉体が既に根源に繋がる可能性を持っている両儀式に接触し、彼女を根源に近づけ、最終的に彼女と一体化することにより根源に至ろうとした。
巫条霧絵、浅上藤乃という式と同じ「虚無」を起源にもち、しかし殺戮を無自覚の内に愉しんでいるという刺客を送り込むことにより、彼女を精神的に追い詰め根源に近づけた。
彼の計画は彼が予期していたよりもずっと早く最終段階に以降する。それは黒桐幹也と白純里緒の存在が影響している。式が追い詰められた原因は七章で、式が何故根源に繋がるのかは後述する。


・「小川マンション」について
小川マンションは荒耶宗蓮とコルネリウス=アルバの合作である(設計には橙子も参加)。
アルバが生きた人間の脳髄を摘出し、之の生命を維持させ、荒耶が制作した人形を本人と寸分違わぬ生命体として存在させた(この人形は血が出ず、歯車で動く様だ)。
また荒耶は結界によってマンションを外界から隔絶された異界とした。
アルバの「ようこそ、私のゲヘナに」という台詞は、「ようこそ、私の地獄に」という意味。
小川マンションは荒耶にとっては人の死の探求、アルバにとっては橙子の殺害が目的だ。
小川マンションでの実験は、荒耶宗蓮による実験であるが、之は式と一体化し根源に至る計画とは別件である。しかし、式の肉体が思いのほか早熟し、丁度罠に掛かったので、急遽予定を繰り上げて根源へ至る準備に取り掛かった。

荒耶は、精神的に不安定な不和を抱えた人間を選りすぐってマンションに入居させ、その嗜好を凝らした建築様式で更に住人の精神を不安定にさせ、死に至らしめた。
マンションは完全なシンメトリーになっており、西側と東側はマンション内から見る外観も似通っており、判別不可能な構造となっている(この構造は太極の具現である)。
東西棟は円柱の中央のエレベーターと其れに纏わりつく螺旋階段のみで接続されている。
入居者は始めは西棟に住み、死亡後は脳髄を摘出され、荒耶が制作した人形を通して東棟で生活する。エレベーター及び螺旋階段はロケット鉛筆というより、螺旋を描いているドリルの芯や、床屋でくるくる廻っているサインポールを想像すると理解し易い。
下から芯を捻り上げて出口をずらす事により東西を入れ替え、住人に気付かれることなく部屋の移動を完了させたのだ。
そして東棟の人形住人は朝に起き、夜に死ぬという生死の螺旋を繰り返し「命日」を毎日繰り返す。対して西棟では本人の死体をそのまま放置しておく。こうして一方は死骸、一方は朝蘇り夕べに死ぬ生きた人形という同時刻に同じ人間を二人用意し、同じ死を矛盾した状態で毎日螺旋させることで、その死にどのような差異が生じるかを実験した。
小川マンションは荒耶の体内に等しく、彼の思うままに操ることが出来る。
燕條巴は実験の成果と言える。


・「蒼崎橙子」について
蒼崎橙子は魔術師(後述)の六世に生まれた。14歳で魔術協会に留学し、衰退したルーン魔術を専攻して之を復興させた。荒耶、コルネリウスとは同期である。その後礼園女学院に入学。持って生まれた才能から次期当主として有望視されていたが、妹の青子に敗れた。魔眼を持っており、普段は魔眼殺しの眼鏡を掛けている。妹の青子とは相当仲が悪く、殺しあうほどである。かつての使い魔が青子に敗れたため、両儀式を新たな使い魔の代わりとして用いている。
魔術協会はトップランクの魔術師である橙子に「赤」の称号を贈ったが、本来望んでいた「青」とは真逆の「赤」を得たということで、橙子はこの称号を不服に思っている。そのことを指摘されること、とりわけ「傷んだ赤色(スカー・レッド)」と呼ばれることはことさら嫌っており、そう呼んだ者は全員殺している。例外は殺し損ねた妹のみ。
また、当代屈指の人形師で、人形という雛形で根源への到達を目指していたが、もう興味は無いらしい。
その魔術が根源に近づいた為、魔術協会から封印指定(後述)を受け出奔中である。
彼女は「魔術師当人が最強である必要はなく、最強のものを作り出せばよい」という持論から、使い魔を鞄に入れ、之を使役することで戦闘する。
また、アイデンティティの確保が出来れば肉体はさほど重要ではないとの考えらしく、
自身の脳が損傷した場合は即時に用意しておいた予備の人形が起動し、以前の記憶を継承して再び生活を送る。よって橙子を殺すには、脳髄が損傷しないように半殺し状態にし、
永遠に延命治療を施さなければならない。荒耶が「私が蒼崎を仕留めたのは詮方なき事だ」と言ったのは、荒耶は魔術師として橙子に敬意を払っていてそれを悔やんでいるのと同時に、
橙子を殺すことは彼女の復活を意味する為に、仕留めたという表現を使っているのだ。
首となった橙子は五感を有しており、コルネリウスが「傷んだ赤色」と言ったことも聞いていた為に、荒耶は「――たわけ。口にしてはならないことを口にしたな、コルネリウス」と言ったのだ。橙子は、コルネリウスが橙子の頭を粉砕したことで、彼女の予備を起動せさられたので、小川マンションに駆けつけられたのである。


・「燕條巴」について
彼はかつて走ることが大好きで、中学では名の知れた陸上競技の選手だった。
しかし、父親が失業し高校入学の資金は自らアルバイトをして稼ぐこととなった。
生活苦の為働きながらも陸上だけは続けていたが、父親が交通事故で人を轢き、賠償は母親の親戚が何とかしたものの風評被害で陸上は止める事になった。これにより生き甲斐を失って高校を中退。父親は飲んだ暮れであり、彼はアルバイトで、母親はパートで生活費を稼ぐという無気力な生活が続いていたところを荒耶に目を付けられて、一家で小川マンションに越す。ある日、帰宅後に母親によって殺害され、前項の荒耶の計画から、脳髄を摘出され、人形として(本人に人形だという自覚は無い)朝生まれ夕べに死ぬという螺旋を繰り返す。ある日、自身の死を予期して母親を殺害し逃亡、自身を支配する「ニセモノ」であるという認識を恐れ、圧倒的な強さを見せる式に見蕩れて彼女のアパートに転がり込んだ。
実際に彼が抱く自身が「ニセモノ」であるとする自覚は、荒耶とコルネリウスが制作した人形である為だが、彼は陸上を諦めたことを理由と合理化し納得した。
いつしか式を愛するようになり、彼女が荒耶に捕らえられて困惑するが、幹也に幼少期を過ごした家屋に連れて行かれて家族への思いを思い出し、自身が「ニセモノ」であるとする認識、家族への想い、式への想いに決着を付ける為、幹也とともに小川マンションへ向かう。元から極悪な人間など居らず、置かれた境遇が人間を形成する(因って私は性悪説を支持)。巴の家族も昔は平凡ながら幸せを享受していて、彼はそれを思い出すことで、家族への苛立ちや、真実を直視することの恐怖から解き放たれたのではないか。彼の式への恋慕は荒耶が仕組んだ人為的な感情だったが、彼はそれを越えて彼女を愛していたことを本物だと認識し、式の為でなく自身の為に荒耶と対峙した。
彼の起源は「無価値」であるが、彼が荒耶を足止めしたことで、式が復活する為の時間が稼げて、結果的に荒耶は倒されたので、彼は起源を凌駕したことになる。
また、彼の家族愛の象徴である「家の鍵」は、普段家に鍵を掛ける習慣の無かった式に、鍵を掛けさせるという意味を残した。
彼は幹也に「俺はさ、両義に同じ物を見て安心していただけだったんだから。俺とかあいつみたいな人間にはさ、あんたみたいに呆れるほど害のないヤツの方がいいんだよ――」と言っている。幹也がなぜ異常者に対して他の常人と同等に普遍的に接するのかについては、六章忘却録音で述べる。
因みにFateの衛宮士郎は彼がモデル。


・「抑止力」について
カウンターガーディアンとも言い、集合的無意識によって形成される世界の安全装置である。抑止力とは発生しないように止める力のことで、一般に軍事で使用される言葉だ。
春秋戦国時代の縦横家の張儀の連衡策や核抑止論が有名である。相手が動作する際に、その動作に関わるリスクと得られる利益を天秤に掛け、リスクの方を高いと思わせる力を主に指す。TYPE-MOONの世界観では地球で発生する事象の内、地球或いは人類の生存に差し障る脅威を排除する力と考えるのが妥当だ。
抑止力には二種類有り、人類の持つ破滅回避の祈りである「アラヤ」と、星自身が思う生命延長の祈りである「ガイア」がある。
またこの抑止力は、「歴史的人物は世界史的な個人であり、したがって絶対者は個々人の情熱やはたらきを利用して自己を実現する」というヘーゲルの絶対精神と似通ったところがある。地球或いは人類の生存を脅かす事象を森羅万象すべてが拒み阻止しようとする。
荒耶が憎んでいたのは、前者のアラヤであったために、彼の螺旋の探求は、彼が探求を始めた時点から矛盾していたと言える。

仏教の阿頼耶識は四章伽藍の洞で触れた唯識(あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではなく、唯、人の感覚でしかなく、実態は空)の思想で、五感(眼・耳・鼻・舌・身=五根)が含まれる般若心経の六識(眼・耳・鼻・舌・身・意)に未那識、阿頼耶識を加えた八識の最終である。六識については痛覚残留で述べたので割愛する。
阿頼耶識は人間存在の根本にある識で、未那識とともに無意識に該当する。
心の内にある種子(しゅうじ:色々の現象を起こさせる可能性、可能力で、ある現象が影響して自らに習慣的な刺激によって植えつけた印象のこと(唯物史観に少々似ているかもしれない))から、世界の諸現象を生じる。生じた現象はその人の阿頼耶識に印象(熏習)を与えて種子を形成し、刹那に生滅を繰り返し、之を持続する。
諸法の種子を内臓「一切種子識」
過去の業の果報(異熟)から生成「異熟識」
他の識の根本「根本識」
身心の器官を維持「阿頼耶識(我持識・執我識)」
などの働きがある。
未那識(まなしき)は、意識と阿頼耶識の中間にある無意識を担当する識で、阿頼耶識の見分から我・法などを思量し六識に作用する。
八識はみな思量の作用があるが、末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との二義を兼ね有して他の七識に勝っているから末那(意)という。
睡眠中でも深層に於いて作用し阿頼耶識を対象とし、それを自分であると執着する。
未来福音の両儀未那はこれに因む。


・「魔術と魔法、魔術師と魔法使い」について
魔術とは魔力を用いて人為的に神秘・奇跡を再現する術の総称である。
常識で可能なことを非常識で可能にしているに過ぎない。
現在、魔術の殆どは文明の利器により現実可能であり、指に火を灯すか、ライターで火を灯すかくらいの違いしかない。魔術を使うものを魔術師といい、その殆どは魔術協会に加入している。
魔術協会は魔術師を監視し、魔術の漏洩や魔術師が一般人に危害を加えることを防ぐ。
魔術師は魔術協会で勉強し、その膨大な資料を自身の研究の為に使用する。
蒼崎橙子やコルネリウス=アルバ、荒耶宗蓮はこの魔術師に該当する。
魔法とは人間には到達出来ていない、或いは到達し得ない「奇跡」を具現させる術である。
この魔法を使うものを魔法使いといい、世界に五人しか居ない(生きているのは四人)。
判明しているのは、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグと蒼崎青子の二人。
人類の科学が進歩していなかった頃は、魔法使いのハードルは現在よりも低く、多くの魔法使いが実在したが、現在それらは文明の発展に伴い殆どが魔術へと格下げされてしまった。
また、魔法は魔術師達が目指す最終到達地点である「根源の渦」から引き出された力の発現である。
魔術師の家系は生涯を賭けて学んだ神秘を魔術刻印という遺産にし、子孫に伝える。
そして研究成果の最終目標である「根源の渦」『 』への到達を目指す。
魔術協会は、学問的に習得不可能レベルの魔術を身につけた魔術師(「根源の渦」への到達が近い者)に対し、魔術協会がサンプルとして保護する旨の令状「封印指定」を出す。魔術師としては栄誉であるが、軟禁生活を強いられるため、たいてい逃亡する。橙子はこの封印指定を受けているため、伽藍の堂に結界を張って隠遁している。


・「肉体と精神」について
「われ思う、ゆえにわれあり(コギト=エルゴ=スム)」で有名なデカルトの説いた物心二元論では、物体と精神とは実体として存在し明確に分離され、物体は精神に依存せずに因果関係によって運動するという機械論的自然観を確立した。物体は「高邁の精神」によるコントロールを受ける。現在此の説を支持するものは殆ど無く、機械論的自然観を形成したことで、寧ろ批判されている。肉体と精神は切っても切り離せない関係にあり、自我の形成には肉体が多大な影響を与えている。くわしくは終章空の境界で述べる。


・「根源」について
根源とは全ての原因。あらゆる現象が流れ出したもとである。『 』はこの根源に近いが、
根源をも含む森羅万象の原因であると解釈される。
有り体に言うと「真理」「究極の知識」ということになる。全ての原因であるがゆえに、全ての結果を導き出せるもの。この一端の機能を指してアカシックレコードと呼んだりもする。
有と無、生と死の狭間の世界であり、仏教的に言えば「空」に近いと言える。
魔術師は根源に到達することで、先祖代々の目的である永遠の真理に到達する。
この根源とは、ギリシア哲学で言えば、「イデア界」、仏教で言えば、「般若波羅密」の実践により得られる真理(即ち一切皆空と悟る涅槃寂静の境地)と言える。
一種のエロース(イデア界への羨望・回帰欲求)があるのかもしれない。
前項で述べた抑止力の説明にヘーゲルの絶対精神を用いたが、こちらの方が絶対精神に近い側面を持つ。アイデンティティを持ったまま、根源に到達したものは自らの願いを叶えることが出来るらしく世界を改変する力を持つ。Fateの聖杯もこの考えによって理解出来る。ヘーゲルが言うには絶対精神は神(唯一神・人格神)と同義らしい。
アカシックレコードについては六章忘却録音で述べる。


・「太極図」について
太極とは即ち根源の事で、道家や陰陽家で重視された。陰陽魚太極図が有名である。こちらも二元論的な側面が強く、全てを陰と陽に分ける。例えば陽には、明・男・積極的・攻撃・前・上・左・天・奇数・味方・夏などの意味があり、陰には、暗・女・消極的・防御・後・下・右・地・偶数・敵・冬などの意味がある。太極を二つに分けたものを両儀、四つに分けたものを四象、八つに分けたものを八卦という。大韓民国の国旗を太極旗といい、真ん中の赤と青により描かれている巴を太極、四方に有る三本の棒の集合を八卦という(韓国の国旗はこの八卦の内の四つ。因みに八卦は16パターン存在し、「易経」の八卦を後天図、宋学の朱熹の八卦を先天図と云う。ここでの八卦は先天図)。――と--を爻(コウ)、爻により構成されるものを卦(ケ)と云う。
爻が一本な卦(二つ在る)を両儀、爻が二本な卦(四つ在る)を四象、爻が三本な卦(十六在るが、内、八つ)を八卦という。
両儀は太極を二つ、つまり陰と陽に分離したものであり、式が男性人格と女性人格を持ち、一方は欲望の抑圧や拒絶、一方は欲望の解放や受諾を担っていたのもこの為。式のことを太極というのも此の為。根源から分離した小川マンションは太極図の具現である。


・時系列の整理
1.本物の燕條巴が母親により殺害され、荒耶の実験が始まる。
2.黒桐幹也が免許取得の為に、長野の自動車学校へ通うことにより、観布子を留守にする。
3.偽物の燕條巴(以下巴)が予知夢(実際は現実)を恐れ、母親を殺害、逃亡中に式に出会う。
4.空き巣が燕條家に侵入し、死体を発見(突発的な犯行←抑止力に依る)
5.巴、式の部屋に転がり込み居候する。親殺しや偽物感から苦悩する。
6.巴、式のために部屋の鍵を造る。
7.式は殺人衝動を満たす為に巴を殺そうとするが断念。
8.巴、コルネリウスを目撃、式に報告するが一蹴される。此の頃から式へ好意を持つ。
9.幹也、免許取得後、伽藍の堂にて橙子に小川マンションについての調査を依頼される。
10.鮮花が伽藍の堂に来る。黒桐、橙子から両儀や魔術についての享受を得る。
11.秋隆が刀を式のマンションに届けに来るが留守で幹也に預ける。
12.巴、母親を殺した筈なのに、生きている母親を目撃する。
13.幹也、橙子に小川マンションについての調査結果を報告。刀を式に渡す。
14.何日か経過し、巴は不審に思い式と共に小川マンションに赴き、もう一人の自分と最後の一日を直視する。式の部屋に鍵を掛ける。
15.式、荒耶と戦闘するも彼に捕らえられる。巴、真実を知り、式を救うべく逃走。
16.同日、橙子と幹也が小川マンションに調査に入る。
17.翌日、コルネリウスが橙子の人形館に挨拶に来る。
18.橙子、小川マンションでコルネリウスと対峙、之を倒すも荒耶に敗れる。
19.荒耶、橙子の頭をコルネリウスにプレゼント。
20.幹也、式の部屋で巴と会い、彼を幼少期過ごした家へと連れて行く。
21.幹也、巴に式の部屋の鍵を貰う。
22.幹也、小川マンションに向かい、コルネリウスに苛められる。
23.巴、地下の工房で自身の脳髄を発見し、荒耶の元へ赴くが返り討ちにあい消滅。
24.コルネリウス、橙子の頭を粉砕、二人目の橙子が現れて彼を殺害し幹也を救助。
25.式、荒耶の造った結界を破壊(結界の死線を切断)し、具現、荒耶を消滅させる。
26.式、巴の影響で部屋に鍵を掛ける様になる。

幹也が式の部屋のインターホンを鳴らした順番
①上記11.の時のチャイム。
②上記14.の時のチャイム。
③上記20.の時のチャイム。


・「sprinter」について
燕條巴をイメージして奈須きのこ監修の下、梶浦由記によって作詞・作曲された。
他の曲に比べて歌詞が明快で、曲調もテンポが速く、「競争」しているかのように次々と繰り出される歌詞が特徴的だ。巴が式を想っていた事、肉体はニセモノであるが、精神はホンモノであること等が、歌詞に刻まれている。空の境界の主題歌の中では私が一番好きな曲だ。


・「矛盾螺旋」という作品について
黒桐幹也は自動車運転免許取得のための教習のため、長野に1ケ月間滞在し、留守にしていた。燕條巴は陸上の選手だったが、父親の失業によりアルバイトを始め学費を自分で稼いで高校へ入学したが、父が交通事故を起こしそれが元で、高校を中退。一家で小川マンションに越し、そこで母親に殺害された。魔術師荒耶宗蓮は人の螺旋し、留まることの無い性に失望し、世界を改変する為に『 』への到達を目論み、「抑止力」に左右されない、両儀式と一体化するという方法を模索し、霧絵・藤乃を差し向け、式を精神的に根源へと近づけた。今回はコルネリウスと別件で人の「死」に対する実験を小川マンションで行っており、巴はその実験に利用され、死後も人間の精神を持った人形としての生活を送っていた。
巴は荒耶の実験の成功例であり、死の螺旋から脱出したが、親殺しや自らがニセモノであるという感情に苦悩していた。荒耶の細工により式に近づき好意を覚え、彼女を愛し始めた。巴は何日か経過し殺したはずの母親を目撃し、小川マンションへ行き確認することを考え始めた。丁度その頃、橙子は免許を取得し帰還した幹也に、小川マンションの調査を依頼した。幹也は式の部屋に向かうが留守で、そこで秋隆から名刀を預かり翌日式に渡した。幹也はマンションの調査を一晩で終わらせ、その調査結果を見た式は、巴と共に小川マンションへ向かい、この建造物の真実を知るが、荒耶に敗北し捕らえられる。その後、橙子と幹也は小川マンションを調査し、この建造物の真実を知る。翌日、橙子の人形館にコルネリウスが登場し、式を捕らえた旨を橙子に伝える。橙子は戦闘の支度をし、小川マンションへ向かってコルネリウスを破るが、荒耶に敗北し、首だけとなった。待ちきれなくなった幹也は、式の部屋で巴と出会い、彼を旧家に案内した後、共に小川マンションへ行く。此の時、巴に式の部屋の鍵を貰う。巴は荒耶に返り討ちに遇い消滅した。幹也はコルネリウスに目の前で橙子の頭を粉砕され、彼に苛められるが、二人目の橙子が登場し、彼は死亡した。巴が荒耶との問答で時間を稼いでいる間に式は、覚醒し荒耶の結界を破り、名刀によって彼を消滅させ、彼の野望は脆く崩れた。


・名言(原作より抜粋)

式「だっておかしいじゃないか。人間が見れるのは外見だけだろ。それを見てくれたおまえはいらなくて、心なんて見えもしないモノを見てくれなきゃイヤだ、なんて普通じゃない。普通じゃないって事は異常ってこと。ほら、おかしい話じゃないか。そいつもさ、心を見てほしかったら紙に書けばよかったのにね。臙条。おまえ、そいつと別れて正解だよ」

式「お断りだ。おまえの命なんて、いらない」

荒耶「荒耶宗蓮。式を殺す者だ」

荒耶「無こそがおまえの混沌衝動、起源である。――その闇を見ろ。そして己が名を思い出せ」



幹也「ろけっとぺんしるって、何ですか?」

橙子「黒桐。魔術師という輩はね、弟子や身内には親身になるんだ。自分の分身みたいなものだから、必死になって守りもする。・・・・・・まあそんなわけだから、きみは安心して待っていろ。今夜には式を連れて帰ってくる」

コルネリウス「Repeat!」

巴(―風は止んだし、合図も鳴った。さあ―そろそろ本気で走りはじめなくちゃ―)

コルネリウス「危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな」

橙子「おまえは死んだはずだ、なんてお決まりの台詞だけはよしてくれよコルネリウス。器が知れるぞ。あまり、私を失望させないでくれ」

コルネリウス「お前は――本物か?」

橙子「学院時代からの決まりでね。私を痛んだ赤色と呼んだ者は、例外なくブチ殺している」

荒耶「語るまでもない。私が幾度となく争ってきた想念、荒耶が敵とみなすモノは、救いきれぬ人間の性である」

橙子「認めろ荒耶。私達は誰よりも弱いから、魔術師なんていう超越者である事を選んだんだ」

巴「わりぃな、両儀。俺は、おまえのために死んでやれねぇわ。俺はさ――俺のために、この命を懸けなくちゃいけねえみてえだ」

巴「ああ。――それでも、この心は本物なんだよ」

巴「――そりゃあ、うちの家族はろくな連中じゃなかった。でも、こんなふうに殺されるほど、悪いヤツラじゃなかった。こんなふうに死んじまうほど、罪深くはなかったんだ・・・・・・!」

荒耶「戯け」

荒耶「最後に教えよう。おまえは何も成し得ない。なぜなら――おまえの起源は”無価値”だからだ」

荒耶「語るまでもない。私が幾度となく争ってきた観念、荒耶が敵とみなすモノとは、救いきれぬ人間の性である」


橙子と荒耶
「アラヤ、何を求める」
「――真の叡智を」
「アラヤ、何処に求める」
「――ただ、己がうちにのみ」
「アラヤ、何処を目指す」
――知れた事。この矛盾した螺旋(せかい)の果てを

式「オレ、おまえの部屋のカギ持ってない。不公平だろ、そういうのって」


感想

本作は空の境界中、理解するのに最難関な作品であり、頁数も一番多いことから、考察にも多大な時間と労力を費やし、レヴューも他の追随を許さぬほどに冗長になってしまった。
このレヴューによって一人でも多くの人の「矛盾螺旋」という作品の理解の参考になれば幸いである。
感想としては、まず原作と比較してあまりに尺が短く(自己調査の結果、尺比1:0.40)、映画の視聴だけで本作を理解するのは繰り返すが不可能である。また、本作は只でさえ理解に難いのに、あまつさえ時系列のシャッフルが行われて一層理解が困難になっている。
しかし、映画を全章観終え、原作を読破し、考察を完了した上で本章を視聴すると、以前との理解の程度が甚だしく、歓喜を覚えるほどであり、感無量である。この感覚が味わえるのならば、この時系列シャッフルも悪くないと最近想い始めた。是非この感覚を体験していただきたい。橙子が小川マンションの前で降車するシーンは素晴らしい。
本作は、原作との良い意味での違いが多く浮き彫りになっている。その最たる例は、巴と荒耶の対峙の場面である。原作では、エレベーター降車後、巴と荒耶が対峙し、会話があって、巴が荒耶に襲い掛かって、起源が「無価値」であることを宣告され消滅する。
本作では、地下の脳髄壜の前で、荒耶に真相を暴露され、後にエレベーター降車後、巴が荒耶に襲い掛かり、「無価値」宣告を受ける。ここで巴が「ここに居たんだ」と云って消えて行く。この場面が大変良い。因みに原作では襲い掛かる際に「ここに――居たから――!」と云っている。
尚、巴は荒耶に起源が「無価値」であることを宣告され、消える際にエレベーターの中に居る両儀式を目撃している(1:30:54)。しかし、荒耶には見えていなかった。巴は死ぬ際に、式の再誕を予知したのだろうか。
作品に対しては、荒耶宗蓮という人物の野望や両儀式の本質、燕條巴の人生という様々なテーマによって構成されており、大変見堪えがある。一件落着した後の式のデレには強烈な破壊力があり、何時もの蠱惑的な魅力とは一風変わった愛らしい魅力に溢れていた。{/netabare}


この五章は、一から四章を視聴した上で「両儀式」という人物について改めて考えさせる作品だった。また、荒耶宗蓮、コルネリウス=アルバという魔術師の登場と、彼らによる計画が、空の境界という作品の世界観をより一層具現化させた作品でもある。
また、三章、一章、本章と式が幹也へ寄せる想いが深くなっていることが随所で伺える。

本作は考察のし甲斐があり、非常に面白い。また現代人への処方箋のような役割を果たし、私達にカタルシスを与える。

私は全章視聴後原作を購読したが、読み応えがあって大変面白い。アニメを観た人は補足の為にも、お勧めしたい。
未視聴の方は、是非挑戦していただきたい作品である。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 52

レイ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

壮絶な戦闘の圧倒的なカメラワーク!

空の境界はやっぱ際立つのはカメラワークですね。
まさに圧倒的と言える程の。
戦闘シーンなんか鳥肌物のかっこよさで感動しました。

あと、劇場版の演出はある程度のレベルでないと一般的に評価されにくいですよね。TVの方が演出は難しいですから…
ですが、コレはカメラワーク抜きにしても非常に面白い演出をしてると思うし個人的に非常に楽しめました。

Kalafinaが唄う主題歌は個人的にこの章の主題歌「sprinter」が一番好きです。

世界観の事などの詳しい感想は七章に書かせてもらいます…

投稿 : 2024/12/21
♥ : 6
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

現在と過去、真実と虚構の境界線

原作未読。
全8章からなる物語の5章目。約114分。

「空の境界」全章に共通する項目は、第1章のレビューをご覧ください。
→ http://www.anikore.jp/review/450724/

すべての黒幕の登場。
そして、決着に至る物語。

1~4章までの事件は、いったい何が目的だったのか、それが明かされます。

この章の主人公でもある「嚥条巴(えんじょうともえ)」。
Fate/staynightの主人公「衛宮士郎(えみやしろう)」のモデルにもなった人物です。

この章の見所であり、見る側を混乱させる要素でもあるのが「時系列のシャッフル」。
同時並行で複数の話が進み、同じ時間帯に起こった出来事が別の場面で流れる。
その演出も面白い。
扉を開けたら別の時間だったり、時間軸が場面変更することなく変化します。

見てる側にとっては、いつどこで何があったのか、わかりにくい構成になっています。
そんなねじれた時間軸が、タイトルの「矛盾螺旋」とよくマッチしている作品だと思います。

そして、今までの集大成と言わんばかりの圧倒的な戦闘描写も特徴です。

EDテーマは「sprinter」。
英語で「競走者」を表します。
巴の事を歌った曲なのですが、シンクロっぷりがすごいので、ぜひ歌詞を最後まで聞いてみて下さい。


【5章「矛盾螺旋」の考察】
{netabare}
非常に考察しがいのある話です。
完全に解説しようと思えば何万文字になるかわかったもんじゃありません(笑)
……というか、私自身、よく理解できていません。5回は見たのにw
原作に当たらねば!!


さて、時系列や場面移動が複雑なこの章ですが、途中で入る白黒のカットインで区切りが付きます。

「矛盾螺旋」
前半。
ほぼ時系列どおりに話が進みます。

繰り返す「死」の1日。
巴がマンションを脱出し、式と出会う。
そして、式が荒耶宗蓮に捉えられるまで。
丁度この頃、黒桐幹也は自動車教習所で免許を取り、その後、巫条霧絵に眠らされていました。


「螺旋矛盾」
中盤。
「カチャン」という時計の音が流れる度に、時系列が飛びます。

橙子と幹也がマンションのことを調べ上げ、荒耶宗蓮にたどり着くまで。
丁度この頃、式の部屋には巴がいて、カギをかけていました。
そのため、幹也は式の部屋に入ることができませんでした。


「矛盾螺旋と螺旋矛盾が混じり合うとき」
後半。
何の脈絡もなく時系列や場面が飛びます。

たとえば、幹也と巴がマンションにたどり着いたとき、車が3台あります。
しかし、次の瞬間には2台、そしてまた3台に戻っている。

時系列を追えば、
①一人目の橙子が来る
②幹也と巴が来る
③二人目の橙子が来る
という、単純な話なのですが、
①橙子が車を止めるシーン
③橙子が車から降りるシーン
②幹也と巴が来る
と、順序を入れ替えることで、橙子が2人いることに気付かせないようにしています。


さて、黒桐幹也と、荒耶宗蓮から逃げてきた嚥条巴が出会います。
そして、巴の本当の家へ向かう2人。

……家族が崩壊していく過程が、見ていて苦しかったです。
しかし「死」を永遠に繰り返されるほどの罪など犯していない。
過去の出来事を知り、家族の「本当の愛情」に触れ、巴は、真実の体と偽物の体の境界線を乗り越え、式を助けに行く決心をします。
EDテーマの「sprinter」=競争者。元陸上部。走り出す巴。


アルバ「お、お前は本物か!?」
橙子「お前さぁ……私に対してその質問に何の意味があるんだい?」
橙子「実を言うとね、お前の憎しみも悪くなかった。それは蒼崎燈子という私がいる証だから」


荒耶「お前には何一つ本物であるものはない」
巴「分かってる、俺が偽物だってことくらい。だけどよ、俺には過去はないけど、強い思いがある!俺は両儀が好きだった!偽物だろうと、この心は本物なんだ!!」


2人とも「誰かの存在」によって本物と偽物の境界を乗り越えているんですね。
処刑モードの橙子、全力で荒耶宗蓮に立ち向かう巴、2人ともかっこよすぎる!!

アルバが倒され、巴が時間稼ぎをしたことで、式は結界から脱出することに成功しました。
巴が消えたことを悟った式は、「殺人衝動」を超えた「怒り」で荒耶宗蓮に立ち向かいます。
そして敗れる荒屋宗蓮。
しかし、彼にも悲しい過去があったんですね。
ただ、それは無関係の人々を巻き込む「実験」でもあり、単純に許されるものではない。

結局、巴は消えてしまいましたが、巴「ここに居たんだ」のセリフ。
そして、幹也に対して「俺、お前の部屋の鍵もってない。不公平だろ、そういうのって」とすねた式。
「鍵」という愛情の証を通して、式の中に巴が残りました。
切ないながらも、救いのある終わり方で良かったです。

【全て見終わった人へ】
{netabare}
シナリオを考えれば、この章が事実上の最終回ですね。
最終回の名に恥じない、最高の演出と最難関のストーリーでした。

次回は、待ちに待った鮮花の出番。
次回予告の「えへっ★」にやられたのは私だけではないはず!!
{/netabare}

{/netabare}

投稿 : 2024/12/21
♥ : 41

85.1 2 日本刀アニメランキング2位
劇場版 鬼滅の刃 無限列車編(アニメ映画)

2020年10月16日
★★★★★ 4.1 (583)
2506人が棚に入れました
蝶屋敷での修業を終えた炭治郎たちは、次なる任務の地、《無限列車》に到着する。そこでは、短期間のうちに四十人以上もの人が行方不明になっているという。禰豆子を連れた炭治郎と善逸、伊之助の一行は、鬼殺隊最強の剣士である《柱》のひとり、炎柱の煉獄杏寿郎と合流し、闇を往く《無限列車》の中で、鬼と立ち向かうのだった。

声優・キャラクター
花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、松岡禎丞、日野聡、平川大輔

takato さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

◯西先生「まるで成長していない…」。◯◯◯の目にも涙には爆笑。

 いやあ〜笑わせてもらいました、泣かせ演出がクドいなぁ〜と思ってたらまさかのダメ押しにおもわず吹き出しました!。まぁ、笑わせよう?としてるシーンはテレビの頃と変わらずビタ一笑えませんでしたが…。


 今回はシンプルに本作のレビューになります。そして、時間が経ったら外的要因以外の本作のヒットの要因分析をしたいと思います。まぁ、そちらは当て推量もいいとこですので話半分に読んで頂ければ幸いです。


 結論から申し上げると「上手くない」の一言に尽きると思います。別に高度で複雑なことをやれ!とは言いません。単純にエンタメとして、物語という名のジェットスターに乗せて上や下への大興奮をさせるが下手。


 バトルの作画は確かにスピードはあるし、一コマずつ止めても崩れていないんじゃないかってくらい整っています。しかし、バトルにロジックが薄いし、形勢が二転三転したり、こちらの想像の上をいくという点があまりにない。そもそも整ってる作画が良い作画なのか?。バトル作画はそうではあるまい。そこまで大好きじゃないが、同社のHfの方が凄かったような。


 技もエフェクトが凄くなったりするだけで何をしてるのかそもそも分かりづらいし、この技はこうだから相手の上をいった!とかがないので、ひたすらテンションとエフェクトとスピードだけで押している印象で、結果なんか凄いんだろうけどこちらのテンションは全然上下しませんでした…。


 バトルには、敵役が味方と同じかそれ以上に大切ってことが見落とされてるのもテレビと変わってないように思えました。下弦はサディスト、アカザはバトルマニアという類型的な印象を超えるものが何もない。


 夢を扱うキャラなんだから下弦はもっと人間に対して色んな想いや信条を持つキャラにもできたろうし、アカザもバトルマニアなら敵味方を超えた友情のような何かを煉獄さんとの間に築くキャラにもできたろうに…という感じです。例えば、「ジョジョ」のワムウとか、「ジャイアントロボ」の衝撃のアルベルトとか。


 最後もあれじゃあ…格好つかないし、スッキリしない終わり方ではないでしょうか?。前述の衝撃のアルベルトと戴宋の闘いのように、二人は因縁のライバルだが、最後の最後で煉獄さんが決着よりも炭治郎を守ることを優先して…みたいな展開ならグッときましたが…。初対面なのになんでアカザはそんなに煉獄さんに惚れ込んでるの?って感じですし。


 それ以上に本作で問題なのは、キャラ同士の関係性や感情の変化の過程をスッ飛ばし、やたらエモさと勢いだけでなんとかしようとしているところだと思います(キング・クリムゾンかな?)。キャラがやたらエモければこちらもエモくなるわけじゃないので…。


 キャラクターの感情もストーリーも、盛り上げるにはピラミッドを築くように一段ずつ積み上げていく必要があります。ピラミッド作りには建築学が、ひいては数学の基礎が必要ようなように視聴者の感情を動かそうと思ったら心を打つ物語を作るための技術に基づいた丹念な構築が不可欠です。優れた作画も音楽も築き上げた感情の爆発の助けにはなるけど、それがないんじゃ砂上の楼閣である。



 それが、本作では煉獄さんと炭治郎達の間に、更には敵たちとの間でも関係性を十分に築けているとは到底思えません。煉獄さんと、亥之助や善逸や禰豆子の間にどんな絆が出来たというのか?(善逸に至っては普通に出番少な過ぎ)。顔を少し合わせたぐらいで、禰豆子に至っては本作の中で煉獄さんと絡む瞬間すらなかったような…。


 炭治郎も、背中と背中を合わせて共闘したりして、この人の生き様に覚悟に惚れる!みたいな展開がないからやたらメソメソされてもなんで?という感じでノレない…。


この中の話では、炭治郎にとって強くて優しい先輩くらいにしか煉獄さんのことは思えないような…。熱い絆をこちらも感じられれば、そりゃあこちらも泣きますが、あんたら出会ってそんな経ってないし、そんなに心通わせ合う展開なかったやんけ…という。



 百歩譲って炭治郎が泣くのは良いとしても、亥之助、況してや善逸は泣くほど付き合い欠片もねぇだろ!とツッコミたくなる。炭治郎が泣いてるから泣いてるくらいにし見えないんですよねぇ…。



 別に泣き演出が嫌いなわけではないのです。むしろ私は泣き上戸で、好きな作品見てればもれなく泣く方です。ただ、十分なセットアップなしに、泣け!泣け!ってやられてもシラケるだけなんですよねぇ…。


 煉獄さんも「大いなる力には、大いなる責任が伴う」みたいな、スパイダーマンで何度も見たような話を回想でお母さんに説教されても…という。それは物語の中で煉獄さんの行動や生き様で見せてきてこそ効いてくるもので、あそこで急に出てきても…。


 その部分もただセリフで言うんじゃなくエピソードや具体的な行動で見せた方は良かったと思いますし。そもそもなんでお母さんは、あんな説教を煉獄さんにしたの?という感じが…。


 他にも、「夢」という能力はいくらでももっと面白いバトル展開(インセプション的な)が出来たろうとか、せっかく眠ってる時に強いという善逸の設定…とか、下弦に協力してた乗客たちをもっとドラマに絡めればいいのにとか、言いたいことは山ほどありますが、最後に一言。


 あたしゃあ、この列車には乗れないねぇ…。


 コロナはやはり拡大傾向でえらいことになりそうですし、子供たちが見たがってるからって映画館に連れていくのは鬼よりずっとヤバイと思います。くわばらくわばら。


 宮台真司さんの本作評は実に良かった。煉獄さんの生き方に関するギリシャ的な倫理の在り方は実に興味深い!。ただ、それが上手に表現出来ているとは思わない。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 73
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

列車と流行は乗るものです

長いものには自ら巻かれにいきます。プライドはありません。


全23巻で完結するだろう原作漫画の7巻ぐらいまでを2クール26話でアニメ化。この劇場版は8巻の内容に相当、TV本編からの続編を意味します。

2期やるならゴールデンタイム放送も荒唐無稽な話ではなく。
しっかりバンダイさんが日輪刀を発売してますし、物販で円盤以外の武器があることは強み。原作が完結しているとはいえ暫く商売にはなりそうです。
そしてこの劇場版。老若男女巻き込んで記録的ヒット中なわけですがなんか様子がおかしい。初見の方が楽しんでるのです。「続編だからTV版観といてね」というわけでもなさそう。整理します。

1.原作を読んでいる。読んでない。
2.アニメを観ている。観てない。
3.観た人はリアタイの頃?それとも最近?

一見さんお断りというわけではないのでそれぞれ立ち位置だけ確認。
自分は原作未読でアニメ視聴済み。かつ公開直前の部分一挙放送でおさらい済み。もしも準備したいなら第21話以降最後までをおさえておくとよいかもしれません。
{netabare}※劇場版メインキャラ:煉獄杏寿郎(CV日野聡)と魘夢(CV平川大輔)が顔出しするのと、無限列車編に向けた先出し情報がけっこう含まれてます。{/netabare}


【社会現象】
様々な角度から分析されてるでしょうから細かくやらんけど、もたらされた興収で一服つけた映画館が数多くあったと聞きます。上映作品の弾数少なくスクリーンに空きができたコロナ禍の特殊事情なんてのを数年後に思い返すことでしょうね。流行り病を鬼の仕業とみなす伝承になぞらえ、経済循環の一翼を担うことで現実世界でも鬼退治してるようなもんに思えました。


そして本編。
冒頭の1カット。え!?実写ですか?というところから始まります。TV版の第1話は、え!?劇場版ですか?という入りだったのでなんとなく既視感みたいなのを感じますね。
美術はTV放映での神回と呼ばれる第19話の気合が最初から最後まで続くと思っていただいてよし。
117分の上映時間のうち一部を除いて列車の中での出来事です。殺陣や空間を使った演出など狭い列車空間ではスケールダウンするかもという不安は杞憂となってます。梶浦由記さんの劇伴も物語を盛り上げ、作画/音楽の良さは太鼓判を押せましょう。まさに劇場で鑑賞すべき作品ですね。

ストーリーはいかんせん途上なのでなんとも言えじ。全体でどうこうはひとまず置いといて1エピソードとしてみるなら申し分なしではないでしょうか。家族愛との結びつきで“強くなれる理由”を知った本編なら、その強さを何のために使うのか志(こころざし)の領域、メインキャラ煉獄さんを通して“闘う理由”が劇場版でははっきりしてきます。感動するとしたらここ。個人的にはむしろ家族愛に囚われちゃうと見落としかねないとすら思ってます。

キャラはもちろん炎柱の煉獄さんがごっそり持ってくんですけどTV本編からの進展もある。炭治郎の同期、特に伊之助との絡みにそれは顕著でした。TV本編では兄と妹の絆に焦点あてていて友情プレイは控えめ。「努力」「友情」「勝利」の「友情」部分が希薄だったと言えましょう。そのため「友情」の中核たる善逸や伊之助についてキャラ立ちの良さを認めつつも別角度から見れば三人いることの相乗効果は感じられず、またギャグテイストな二人は一歩間違うとガヤ扱いでうるさい。炭治郎の“やさしさ”で繋ぎとめている関係に見えなくもなく、このへんが子供向けと断じてしまう要因だったように思えます。それが劇場版では幾分緩和されてました。段階が一段上がったとも言えるかも。
そして余力あるか2回目でもいいですけど“煉獄さん”“炭治郎”“善逸”“伊之助”“禰豆子”誰が欠けてもラストステージには届かないという細い糸を手繰り寄せるような作業を各々がしていたことを見逃さないでほしいです。

公開中なら映画館の迫力映像&音響を楽しめるのはもちろんのこと、例え機を逸して自宅鑑賞となったとしても、ストーリーやキャラの関係性がTV本編に上乗せされてるので見応えはあります。
それに事ここに至ってはなんだかんだ鑑賞のきっかけをはかるレビューの意義をあまり感じないのが本音。これだけメディアの露出がある作品ですのでお祭りに参加する感覚でよろしいのでは? 

ちなみに泣こう泣こうと思ってもそうはならないと思います。感動したーのインタビュー映像は一切無視。期待値のコントロールは各自しっかりして、無駄にハードルを上げ過ぎないようにしましょう。





※ネタバレ所感

■これはデカい!共通言語を獲得

「それにしても素人使うのはちょっと…」
劇場版が公開される度につぶやかれてきた常套句ですね。プロモ兼ねて世間認知度の高い俳優さんを起用するいつものアレ。ふとしたことで気づきます。このメガヒット作にその不満が一切ないことを。
このことはアニメファンにとって二重の意味で幸せなことだと思います。一つは文字通り棒演技を我慢することからの開放。二つめは共通言語の獲得。

 普段アニメを観ない人と声優さんの話ができる!{netabare}…かもしれない{/netabare}

「あー○○さんね。鬼滅で△△の役やってた人だよ」というテンプレがこの度誕生した衝撃はもの凄いものがあります。

「あー○○さんね。××で△△の役やってた人だよ」の××の選択肢がほぼジブリ/ディズニー/他夕方ご長寿アニメ独占状態だったところに近年『君の名は。』がやっと追加された今日この頃。
鬼滅はキャストが脇役含めて深夜アニメオールスターと言ってよく、TV本編を視聴してる層も一定数いることも考慮すると△△に入る人たちがめっちゃ多い。
竈門家だけでも父:三木眞一郎、母:桑島法子、子供たち:大地葉、本渡楓、古賀葵、小原好美とかいう水準。皆なにかしら代表作持ってる方々なのに一般の人からみれば誰も知られてない。
それが此度の一件で「鬼滅の煉獄さん役の人が主役はってるオーバーロードってのが…」みたいな発展が容易にできちゃう世界になってしまいました。
応用パターンも。スラダン世代だったら鱗瀧さん役の芳忠さんは仙道やってて、炭治郎が初めて遭遇するお堂の鬼役緑川光さんは流川楓だぜー!みたいなツカミもできるわけです。


実力のある制作会社。本職がもたらす声の演技の凄み。作品に寄り添って製作された主題歌の余韻。
よくよく考えると深夜アニメ王道を行くタイプの作品としてこれだけのメガヒットは史上初では?
訓練されたアニオタには常識でも一般人には未知なるフロンティア。今回初めて“深夜アニメ”に触れた多くの方々が泣いたり笑ったり楽しんでいるこの状況が喜ばしいのです。
あらためて思います。日本のアニメは素晴らしい。


■「家族愛」と言うけれど…

“覚悟”と“責任”のお話ですね。だから人々の琴線に触れるのだと思います。
“家族愛”があまりにもプッシュされてるんですけど少しばかり疑義が有る。行動や考え方の根っこに家族の存在は根付いてるけれども登場人物たちはその想いを大切にしながらそれより先。志を持ち責任を全うする覚悟を携えている。いわば未来を見据えております。むしろ鬼側の諸事情が家族止まりという対比にもなってますね。
愛郷心とでも言うべきでしょうか。家族より広範囲な+αの共同体を守らんとする物語となってます。

{netabare}TVの第2話で鱗瀧さんが炭治郎に覚悟を迫り禰豆子が人を襲った時に自害すると即答できなかったことを詰問するところから始まり、柱門会議の御前において禰豆子が人を襲えば腹を斬る主旨の書面をしたためていた鱗瀧さんと富岡義勇の凄みがまさにそれかと。三人とも実際の家族ではないのです。{/netabare}

{netabare}煉獄さんが守ったのは200名の乗客の生命。それと己の生き様でした。

劇中で炭治郎が叫んだ「勝利」の定義を受け入れられるかどうかは作品の評価に直結します。
野暮と承知しつつ、引き換えにしたものと天秤にかけて敢えて損得勘定したとしても、後進(炭治郎、善逸、伊之助)の心に炎を灯したことでお釣りが充分とれたよねと私は思ってます。
これが唯物論的に捉えるとまったく景色が変わってくると思います。物理的な勝利ではなく「え!?これでなんで感動するの?犬死じゃん」となっちゃうかも。{/netabare}








※マジで無駄話…しかも長くてゴメン

■つまりこういうことね

鑑賞済みの方向け。そのわりには全く踏み込んでないただの妄想のため閉じとく。

{netabare}国際関係に少しばかり踏み込むネタなため不快にさせちゃうかもしれません。たいした話ではありませんが念のための注意喚起。ブラウザバック推奨です。
ちなみに弊社は彼の当該国に事業所があり取引先も存在し、同僚もそこそこ多国籍でわりと喧々諤々楽しくやってます。そのため実地をそれなりに把握してると自負しつつ放言しますのでご容赦を。{/netabare}

{netabare}鬼 「鬼にならんか?14億の市場で儲けさせてやる!」
人 「一度鬼になれば利益の再投資は鬼界に限定され人間界には戻ってこれない」
鬼 「人口減少や低水準待遇の人間界に未来はない。鬼はいいぞ!バスに乗り遅れるな!」
人 「弱い鬼たちを浄化してふんぞり返るなんて俺とは考え方が違うということだ。断る!」

という既視感。{/netabare}

{netabare}代々蓄積されてきた肌感覚なんですよ。
菅原道真公がなんで大宰府に流されたかって遣唐使廃止で利権をごっそり潰したことへの報復でしょう。左遷先の大宰府で客死しそのあと都で人死にが続く。祟り扱いされたのは飛ばした連中に後ろめたさがあったからでしょうね。

となるとそんなリスク背負ってまで遣唐使廃止する必要なかったのになんで?となるのが普通の感覚です。そこで出てくるのがマルコ・ポーロの『東方見聞録』、玄奘三蔵の『大唐西域記』と並ぶ世界三大旅行記とされながら現代日本人にとってはドがつくマイナー書『入唐求法巡礼行記』(円仁)。刊行年は遣唐使廃止の50年くらい前。大陸の人肉食習慣その他悪習がこれでもかと書かれていて国内の東洋史学会ではウケない内容っすね。なお書店で販売されてるのは肝心な唐での体験部分がごっそり抜けたもの。

そもそも遣唐使は行って戻ればアホみたいに儲かる。交易あらば交流あり。文化は良し悪し関係なく流入してくるのは当たり前ですよね。巷では悪習が入り込んですこぶる庶民には評判が悪かったという土台があって、それを唐が滅亡する13年前に鎖国を断行。悪習の流入阻止ばかりではなく大国滅亡の混乱に巻き込まれることをも防ぐファインプレー。

そんなこんなで道真公は神社of神社ともいえる『天満宮』の御祭神であらせられますからね。亰で頻発する祟りを鎮めるために大宰府の庶民が詣でますかって話です。神童でならし出世が早かったなんて人は他にもたくさんいるでしょう。

 きっぱり関係を絶ったからです

そして別にこの時も後の江戸時代だって彼の国と敵対してたわけじゃないんですよ。付く時期と離れる時期の見極めは歴史に学んで良いと思います。隣り近所なんてそんなもんなんですから。
そもそも人食ってるところに利益ぶら下げられたからってホイホイついていくか?ってのが問われているのです。ズブズブになって「生殺与奪の権を他人に握らせる」前に道真公は撤退したのですよ。おそらく自分の身にふりかかる災難を見越した上でです。
そんな菅原道真公を祀って顕彰し続け御社に足を運ぶ1000年前の日本人の感覚と“煉獄さん拝みに劇場に足を運ぶ”僕らの感覚とでそんなには変わらんのだろうよと勝手に妄想している私です。大ヒット神社と大ヒット映画!うーん…このへんで止めとかないと罰が当たりそうなのでお終い。

{netabare}そういえばいつのまにか聖地化してた竈門神社も大宰府でしたね…{/netabare}


作品に戻って“正しく生きること”を考えさせられます。煉獄さんの母はこう言いました。

 「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」

これはお侍さんの基本的な考え方だったかと思います。
思えば伊之助が乗客省みず猪突猛進しかけた時も乗客の安全を確保してからだったし、
火の呼吸は知らんので話はお仕舞だとぶった切ったと思いきや、煉獄家のヒントを指し示したり、
後輩の話を聞き流してんじゃなくて留めて心を砕いてくれてたんだなということがわかります。

そして正しいことをやるためには強くならないとね。子供に見せたいという声があるのも分かる気がします。子供に見せる名目で大人が見るのももちろんご随意に(笑)

{netabare}大事小事関係なく、私たちは常に「鬼にならないか」と誘われる日々を過ごしているといえます。人と鬼双方に事情があることは作中で示されており巷でも作品の魅力によく挙げられてますよね。そんなんで鬼にも同情すべき点があるなぁと呑気に構えていたら、この劇場版で煉獄さんに「鬼の倫理」と「人の倫理」は明確に違うことを突きつけられたわけです。{/netabare}

映像と音楽が突出して良くて、あとは良くも悪くも少年JUMP的作品。これはTV本編の私の評価です。その基本的な考えは変わってないのだけれどもちょっとだけTV本編よりも評価高めどす。{/netabare}



視聴時期:2020年10月 劇場にて 

-------
2020.11.15 追記

別に予言でもなかったのだがさっそくの教訓。

「お前も鬼にならないか?」 ⇒ 「はあいよろこんで~」

を地でいくNEWSが飛び込んできた。炭治郎の耳飾りのデザインを変更して某半島で配給するとのこと。長くなるので止めとく。



2020.11.01 初稿
2020.11.15 追記
2021.08.11 修正

投稿 : 2024/12/21
♥ : 65

でこぽん さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

煉獄さんの信念、勇気、責任感に感動!

この映画には良い意味で騙されました。

宣伝では、睡魔を武器とする鬼と闘う炭治郎の姿がしっかりと描かれていましたので、炭治郎が大活躍するのだろうと思っていました。

確かに炭治郎は大活躍しました。
でもそれ以上に、柱の煉獄さんが大きな大きな力を見せてくれました。
大きな大きな感動を与えてくれました。
煉獄さんの信念に感激です。

彼は汽車の乗客や仲間たちを誰一人死なせることなく、守り通しました。
体を張って守り抜きました。

確かに煉獄さんは柱の一人であり、炭治郎たちよりも強いのですが、強さだけであの行動はできません。
彼の信念、彼の勇気、彼の責任感があそこまでさせたのでしょう。


物語は、行方不明者が30人以上も発生している夜行汽車に鬼殺隊の煉獄、炭治郎、善逸、伊之助が乗り込みます。そして、彼らは睡魔に襲われます。

睡魔に襲われた際に見る夢は、とても懐かしく、とても暖かく、心地良い。二度と帰ってこない時代の夢でした。

私個人としては、あんなに暖かい夢を見せてくれる鬼がいたならば、その鬼を大好きになると思います。
あの下弦の鬼は、能力の使い方を誤らなければ、誰からも尊敬され、そして親しまれたでしょう。



ところで、この物語の途中で主要メンバーの心の景色が表現されます。
炭治郎の心の景色は、やはり思った通り澄んだ青空でした。
ウユニ塩湖のように美しい風景でした。

こんなに澄んだ心を持った炭治郎は、鬼を殺す仕事には向いていません。
それは炭治郎自身もわかっていることでしょう。


エンディングは、Lisa の『炎』 素晴らしい歌でした。
Lisaさんは作詞も手掛けます。今回は梶原由紀さんとの共同作詞ですが、
自分で作った歌詞なので、あれだけ感情がこもった歌声が表現できるのだと思います。そして、心がこもった歌声だからこそ、多くの人が感動するのでしょうね。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 57

61.5 3 日本刀アニメランキング3位
劇場版 BLOOD-C The Last Dark(アニメ映画)

2012年7月7日
★★★★☆ 3.5 (256)
1168人が棚に入れました
古くから湖への信仰が残る風光明美な町にある浮島神社。そんな浮島神社の巫女 更衣小夜(きさらぎ さや)は、神主である父親 更衣唯芳(きさらぎ ただよし)と二人暮らしをしている。小夜は 私立・三荊(さんばら)学園に通う高校2年生で普段はクラスメイト達との学園生活をめいいっぱい楽しんでいるのだが、一方で、父の命を受け ある「務め」を果たしていた。それは、『古きもの』と呼ばれる、人を遥かに凌ぐ力を持ち、人を喰らうモノを狩ること——。『古きもの』を唯一倒すことができる小夜は、人を『古きもの』から守るため、大好きな父親のため、浮島神社に伝わるという御神刀を手に独り、戦う。果たして小夜に待ち受ける運命とは!?
ネタバレ

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

小夜 is back! 「忘れるな、七原文人は私の獲物だ」 そういって彼女が“帰って”きた

先にバシッといっちゃうと、テレビシリーズをご覧になった方ならやはりこのブラシーと言えば真っ先に感じたであろう、あの怪しさを軽く通り越した“得体の知れない気持ち悪さ”が今作にはありません
『テレビシリーズのまんま』あるいは『アレ以上』を期待してる方には残念な作品になってますの;


レーティングは一応『PG12』(小学生には助言・指導が必要)です
これでPG12ならテレビシリーズにはせめて『R-15』ぐらいくれてやってくれw


キャラの設定や用語を瞬時に理解するにはテレビシリーズの視聴が前提としてあるものの、『何もかも全てがフェイクだった』という【夢オチ並な超展開】を見せたテレビシリーズ終盤のせいか、多少『雰囲気違いの裏切り』に遭います
が、もはやあの設定では許容してやるしかないのでしょうw


それに加えて、特にテレビシリーズを観てない人でも楽しめるように作ってあるので、あんまし謎を深く追うことを考えず、頭をまっさらにしてご覧になることをオススメしますね


良くも悪くも今作は<モンスターパニック映画>ですよ


七原文人が小夜に固執する理由も、もはやテレビシリーズ終盤でバレバレだったわけですし
特に「あっ!と驚くドンデン返し」は無いんです


まあ強いて挙げるなら小夜に遠まわし過ぎてイミフな助言を続けていたあの「喋る子犬」の正体が明らかになりますぜ
オイラ観る前はすっかり子犬の存在など忘れてましたがwww


今作が『BLOODシリーズ』の一作というよりも{netabare}『CLAMPワールド』の一作{/netabare}だったことが解ったのにはちょっとびっくらこきました^q^











監督はBLOOD+の3期OPや東京マーヴルチョコレートを手掛けた塩谷直義に交代しましたが、今作ではCGを多用した一人称視点の激しいカメラワークが目立ちます
カメラ酔いには要注意です


作画の点では流石のI.G、さらにはゲストアニメタにもウメンヅ、西尾鉄也、中島敦子、千葉崇洋、かがみん等など、テレビシリーズに引き続き豪華なメンツを揃えてきました
(かがみんはどうせ顔芸担当ですねwわかりますw)


音楽はエウレカセブン1期やテレビシリーズ版BLOOD-Cも手掛けた佐藤直紀が続投
重厚なオーケストラサウンドが再び大いに盛り上げてくれます


「もうブラシーなんて忘れちゃったよ」「どうしてもおさらいしときたい!」って方は公式サイトの【のねのね劇場】をご覧になってくださいなw
本編で笑えない分、どうぞ笑ってやってw










いやはやしかしまあ;
最近の藤咲淳一はなんで『ネットワークを自在に操る子供』っていうキャラクターにあそこまで拘るのか
よく解りませなんだ┐(´~`)┌
なんでそこだけ『ルー・ガルー』から引っ張って来たん?

投稿 : 2024/12/21
♥ : 18

ゆりなさま さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

勝者には褒美を 敗者には罰を・・

劇場版  BLOOD-C The Last Dark(完結) 約120分

アニメでの舞台 浮島から半年。舞台は東京へ。

アニメに比べ、あまりグロイシーンは少なかったです。
悪魔で比べてなので、苦手な人は注意です。

劇場版では新キャラ達が登場。
声優さんもちょっと豪華☆

正直あまりパットしたシーンがなかったように思います。
小夜も本来の自分に戻っているのでアニメの時のような明るい
小夜は劇場版ではもう観れません。

個人的に良かった点は・・
CLAMPの別作品『XXXHOLiC』の主人公 四月一日 君尋(わたぬき きみひろ)
が登場した事。
アニメでも別の形で登場してましたが、劇場版では本人登場。
一時、XXXHOLiCのコミックを読んでいたので、
こうやって別作品に出てくれるってなんだか嬉しいですヽ(*´∪`*)ノ"
この作品ともリンクしてたんだ!と。
いつのまにか読まなくなっていたのでXXXHOLiC本編みたくなりました。

終盤でてきた・・うーん・・青色した・・怪獣!!にしておきます。
この怪獣なんか映像がとてもリアルでしたっw
劇場で観たら結構な迫力だったのでは・・。
ただあっけなかったですね^^;

勝者には褒美を・・敗者には罰を・・は、想像してたのがほぼ当たりました☆

案外静かに完結した劇場版だったな〜って印象です。
でも物語は、やはりよくできていたと思います!!
パットしなかったのは、アニメ版が強烈すぎた・・っていうのも1つの理由かな。
なんにせよグロ苦手な方はオススメできない作品ですので
観るときは注意してください^^
とりあえず無事観終わり、これにてBLOOD-C終了させます。

読んでくださりありがとうございましたヽ(´∀`*)ノ


読んでくださりありがとうございましたヾ(●´□`●)ノ

投稿 : 2024/12/21
♥ : 30
ネタバレ

おなべ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

復讐と愛憎の物語(レビュー超改変版)

スローテンポの内容、やり過ぎなグロ描写、最終回のどんでん返し等に賛否両論(否の方が圧倒的)だった「BLOOD-C」の劇場版作品。あにこれでは劇場版も評判が芳しくないようですね。テレビ版に懲りずに映画館にまで観に行った口ですが、いやはや…またも「BLOOD-C」には楽しませてもらいました。


テレビ版は黒幕を後一歩で取り逃がした所で終了し、劇場版は黒幕と遂に対峙します。舞台は田舎からCLAMPお墨付きの東京に、季節も夏から冬に変わっています。作風だけではなく制作スタッフもテレビ版と異なっています。

脚本はBLOODシリーズにお馴染みの藤咲淳一さん、監督は水島努さんに変わり塩谷直義さん。
名前だけ聞くと「え〜と…」と思いましたが、「このアニメOPがかっこいい」の一例でよく挙げられるBLOOD+の3クール目OP(曲はUVERworld「Colors of the Heart」)の絵コンテや演出を手掛けた方だったそうで。意外とBLOODシリーズに関わり深い若手監督です。これは…きっと今回もシャレオツに仕上がった作品になっているに違いない!!そんな期待をして公開当時ワクワクしていましたね。


以下様々な観点からレビューをしていきます。


・すげぇ作画
まず第一に注目したいのは、作画の質がテレビ版に加えて格段に向上しています。特に背景美術が素晴らしいことこの上なし。東京の冬景色からは寒さまで伝わってきます。初代BLOODのリスペクトとも言える冒頭の地下鉄の描写も緊迫感があります。リアルな東京の町並みが良く再現出来ていました。


・ふつくしいキャラデザ
Production I.Gの最終兵器と言われている(らしい)黄瀬和哉氏の小夜のキャラデザが美し過ぎて惚れ惚れします。眼鏡がないだけでこんなに小夜は違うんだねえ…。
CLAMPのキャラ原案も、テレビ版より比較的リアル頭身に近づけたそうです。本作では肉付きがしっかりしたキャラデザになっていました。これなら刀振り回しても違和感はない、はず。


・一本調子でないカメラワーク
作画云々言いましたが、個人的に劇場版「BLOOD-C」で最も評価したいのはカメラワークです。テレビ版では一歩引いたような客観的視点が非常に多く、臨場感のない戦闘シーンにはヤキモキしたもんでしたが、こちらでは真逆の痺れる戦闘シーン目白押しです。冒頭8分の目紛しい戦闘が良い例でしょう(逆にこの8分が凄過ぎて、後の戦闘は物足りなくなってしまうかも)。縦横無尽に動くので、酔わないようにご注意下さい。
戦闘シーンだけではなく、会話シーンも然り。各キャラが話す度に画面が切り替わる事はあまりなく、カメラの長回しで演技を見せています。最近やたらめったらチャッちさを感じるカット演出が多い作品の中、本作では平面的な演出は一切せず、きっちり丁寧な演出で会話シーンを見せてくれたのが好印象でした。

あんまり誉め称えるだけだと怪しい業者に見えそうなので、そろそろツッコミ所も交えて挙げていきます。


・「さやー(棒」が気になる
アニメに事欠かせない声優さんの話題に切り替えます。本作のオリジナルキャラでもありヒロインでもある「柊真奈」っていうキャラに、何でか分からんけど朝ドラ「あまちゃん」でご存知の方も多い橋本愛をキャスティングしてます。
予告編CMで水樹奈々の演技が気になった方も多々いらっしゃいましたが、橋本愛が結構な大根演技を本編で喰らわせてくれる為、左程気にならなくなっていきます。脇を固めるのが実力派声優さんばかりなので、かなり浮いてしまっています。「さやー(棒」と叫ぶ声が耳にこびり付きました。
ただ、やる気が感じられない棒読みでは決してなく、声質そのものは綺麗だと思ったので、今後の橋本愛の演技力の向上に期待したいです。


・小夜のキャラが変わり過ぎている
いやね、鼻歌口ずさんでばかりいたお気楽天然系キャラが、いきなり無愛想で無口なキャラに変わってたらそりゃ違和感は拭えません。テレビ版の小夜とは正反対のキャラになっているので、テレビ版を見ていた方は本作の小夜の性質を受けいられるか否やで、印象が大きく変わりそうです(キャラが変わった理由はちゃんとあります)。
また、本作では小夜の過去や真相には追求しません。彼女が何を思っているか明確な心理描写も少ないです。小夜の事をもっと知りたかった方には残念だったと思います(ただ、自分のことを多くは口にしないものの微妙な表情の変化から、少なからず心情を読み取れます。)
私は劇場版の小夜の寡黙なキャラが直ぐに好きになれたので、別段違和感はなかったです。水樹奈々の演技もこちらの方が合っている気がしました。


・黒幕との絡みが少ない
一番の欠点がこれかなあと。黒幕の親族が劇中で関わってくるんですが、そいつの話題は別にどーでもいいんです。こっちは小夜とアイツの絡みが早いところ見たいのに、終盤まで真っ向から対峙しないので、無駄なシーンが多く感じてしまいます。
お世辞にもフォロー出来ない最大のツッコミ所は
{netabare}ハリウッド映画級のハッキング万能性能力です。”塔”の本拠地を見つける手立ては、もっと順序立てて出来ないものかと。ハッカー有能過ぎぃ! {/netabare}
小夜とヒロインの交流の方が圧倒的に多いです。この2人の絡みに面白みを感じるか感じないかで、本作を駄作か良作か分離すると思います。
{netabare} しかし、真奈と小夜の掛け合いは中々面白い。小夜は最初ぶっきらぼうで、無視もするんですが、犬みたいに引っ付いて来る真奈に悪い気がしないのか、次第に心を開いていきます。中盤で古きものとの戦闘シーン、今まで真奈のことを「お前」呼ばわりしていた小夜が始めて真奈を名前で呼んで身を犠牲にして守るシーンは燃えた。小夜がツンからデレに変わっていく過程がとてもわかりやすく描かれています。百合?百合だろうがいいものはいいんです。文人よりも真奈との絡みの方が結構楽しめました。{/netabare}
そして黒幕の目的がわかりにくい。明確な動機ではないので、もうほんと何がしたいんだよ、あんた…となってしまう方も多そうです。
{netabare} 小夜を心底愛していたが故の文人の行動理由は、個人的にはアリでした。でも、意味が分からんという意見も納得出来ます。やはり文人と小夜の掛け合いももっと時間を取ってほしかったです。
小夜の心情描写が少ないないですが、復讐の鬼には成り切れず、迷いや情けを時折見せる人間臭いキャラクターは逸脱だったと思います。蔵人さんから「君も文人を殺したいのは同じだろう?」とか言われた後の微妙な表情が特に(水樹奈々さんの「ん…」と唸るような演技も良かったです)。小夜は憎しみを持ちつつも心の何処かでは文人の事を理解しようとしていたのかもしれませんね。
自分の心情をベラベラ喋ることはせずに、表情や行間で感情を読む映画的な要素は大いに評価したいです。{/netabare}


・結局CLAMPじゃねーか!
これを見ると「BLOOD-C」の"C"って結局CLAMPの"C"じゃねーか!という事になります。ファンサービスなのかもしれませんが、個人的には自重してほしかった…。考え直すと黒幕の目的もCLAMPらしい動機です。




・他色々・総評
復讐モノとして名義を立てていますが、クエンティン・タランティーノ監督のようなスカッとするスタンスとは全く異なります。その上脚本は結構荒々しいので、ツッコミ所も目紛しくあります。冒頭8分は非常に引き込まれるのですが、それ以降山場が中々来ないので肩透かしくらっちゃう方もいそうです。そして終盤の辺りの駆け足具合が目に余ります。
そんなやっつけ部分が何ともB級アクション映画っぽいです。滅茶苦茶なカオス描写はないので、テレビ版が好きだった方は物足りないかもしれません。グロ描写もテレビ級を期待するのはやめましょう。

でも、作品からは制作者が何でもいいから印象に残るよう見てもらおうとする意気込みが感じられました。だから多少の荒っぽさもある意味微笑ましいというか、ま、細かい事はいっか〜アクション格好良かったし!と私は思ってしまいました。とても不思議。それは小夜のキャラクターを好きになれたからかもしれません。

「BLOOD-C」はBLOODシリーズの汚名をそそいだ超駄作なんてよく言われていますが、こうして楽しんだもんもいます。世間的には失敗作だったのかもしれませんが、私にとっては大いに楽しめた価値のある作品です。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 17

65.4 4 日本刀アニメランキング4位
BLOOD THE LAST VAMPIRE -ブラッドザ・ラスト・ヴァンパイア(アニメ映画)

2000年11月18日
★★★★☆ 3.6 (188)
851人が棚に入れました
『BLOOD THE LAST VAMPIRE』(ブラッド ザ ラスト ヴァンパイア)は2000年から展開された、Production I.G制作のメディアミックス作品群。少女と怪物が繰り広げる戦いを描いたホラーアクション作品。
【ストーリー】1966年ヴェトナム戦争のさなか、日本の横田米軍基地内のアメリカン・スクールに、ひとりの日本人少女・小夜が転校してきた。彼女の正体は、闇に生き暗躍するヴァンパイア・キラーであった…。

takumi@ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

ハリウッド映画の監督たちに影響を与えた作品

セーラー服を着た少女が怪物相手に日本刀を振り回しぶった切る。
怪物は翼手と呼ばれるヴァンパイア、そして少女の正体は?
という2000年に公開されたホラーアクション作品。

企画協力に押井守氏 制作はProduction I.G。
パッケージジャケットを観ていただければおわかりのように、
主人公 小夜はものすごく筋肉質で、口元もへの字で表情も強張った感じ。
可愛いってキャラからは程遠いタフウーマン。

個人的にはこの作品の後 2005年に放送された『BLOOD+』の小夜のほうが好みだが
こちらの小夜のほうが好みという人もいるかもしれない。
その『BLOOD+』と話は繋がっていないものの、予習として観るのはおススメ。

とにもかくにも、彼女の強さは圧倒的な迫力。
無駄のない動きで、怪物たちを叩き斬る姿はなかなかのもの。
舞台となるのは1966年の日本。
ベトナム戦争の最中である横田基地内のアメリカンスクールに
転校してきた小夜が、謎の組織による監視のもと、怪物を倒すべく探索するという物語。

登場人物の多くがアメリカ人という設定なので、セリフは英語。
主人公である小夜の声は流暢な英語を話し、ハリウッド映画界でも活躍している
数少ない日本人女優の工藤夕貴。ちなみに英語のセリフは字幕つき。
そのせいもあるが、全体の雰囲気からアメリカ映画を観ているような錯覚をしかけた。

1話完結の映画スタイルなので、話の内容はシンプルそのもの。
若干物足りなさを感じる方もいらっしゃるかもしれない。

が、ジェームス・キャメロン、クゥエンティン・タランティーノ、
ウォシャウスキー兄弟など、ハリウッドを代表する映画監督達に
多大な影響を与えた作品なので、観る価値はあると思う。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 39
ネタバレ

おなべ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

セーラー服を着た少女が日本刀で怪物どもを斬り殺します

少女、怪物、日本刀を題材として製作された上映時間48分の短編映画。製作会社はProduction I.Gで企画協力に押井守、キャラデザ寺田克也、脚本神山建治、作画監督黄瀬和哉、音楽池頼広、監督に北久保弘之って、油が乗りに乗った超豪華メンツで申し分ない。見る前からとてつもない期待をしてしまいます。


ベトナム戦争最中の横田基地内のアメリカンスクールに転校しに来たセーラー服を身にまとった謎の少女「小夜」が、謎の男達の監視下の中、怪物をぶっ殺すべく探索するというのがあらすじ。
また、舞台がベトナム戦争中の横田基地であることから、キャラクターがほぼアメリカ人で、作中は英会話が多めです。


パッケージの陰鬱さ具合から「一見さんお断り」なコアな雰囲気が漂っていますが、話は至ってシンプル。例え英会話の場面で字幕ナシで聞き取れなくても、話の支障は然程なく見れます。わかりやすい展開なので、今何がどうなっているか意味不明な状況には陥りません。その分物語やキャラクターに掘り下げは少なめなので、予想してたよりも味気なく感じてしまうかもしれません。


怪物を日本刀で斬る一瞬を、美しく格好よく映してあるのが本作の美点なので、これは物語を楽しむというより、レビューの題名の通り、日本刀を使って化物共をぶった切るセーラー服を纏った小夜さんの実験的映像作品及びプロモーションビデオとして捉えた方がいいでしょう。

BLOODシリーズは今や様々な作品がありますので、一応今作は初代BLOODと称させて頂きますが、初代の小夜さんはめっちゃくちゃ強いです。近頃の細腕のか弱いヒロインとは打って変わって、筋肉質でたくましい。アンジェリーナジョリー並の厚めの唇が個性的で、寺田克也氏の癖の強いキャラデザは好みが別れる所です。
私は最初は躊躇していましたが、勇ましい小夜さんを見ている内にすっかり虜にされましたね、ええ。戦う強い女性はやはり素晴らしいですね。cv工藤夕貴さんのクールボイスは文句ナシです。
{netabare} 劇場版BLOOD-Cの小夜はツンデレ具合がとても宜しかったですが、初代BLOODの小夜さんは常に不機嫌そうなんですよねえ…。口元をへの字のようにキュッとつむっているからかもしれませんが。驚いたのはセーラー服に「何だこの服は」と不満げな台詞を洩らす事。好きで着用していたわけではないようです。 {/netabare}


アクションシーンは今見ても全く劣らない動きの滑らかさです。特に序盤の地下鉄のシーンは不気味な音楽も合わさって、非常に緊張感があります。また、全体的に背景美術はもちろんキャラクターのデザインもリアルを目処にされています。陰鬱とした作風も素晴らしいです。
{netabare}「地下鉄=初代BLOOD」のイメージがある通り、地下鉄で斬り殺すシーンはホラー映画のように恐ろしい。後半デビットさんに「ソード!」と叫び、日本刀を投げ渡されてその刀で怪物を回し蹴りのようにスッパリ斬るシーンは痺れました。{/netabare}


話の物足りなさも残念な所ですが、もう一つ私が気になった所は、台詞が陳腐なこと。前述した通りこの作品は比較的リアルな世界覧を表現しているのに、キャラクターの喋る事がいかにもアニメらしいのです。リアルなキャラと台詞の粗雑さがイマイチ噛み合ってない。英語で台詞の簡略さをカバーしているようにも感じてしまいます。台詞回しには何らかの工夫が欲しかったですね。
{netabare} 特に序盤のデビットさんの「上からの指示だ」「本当に何も知らんよ!」はマシな言い方がないものかと。あまり裏組織の人間には見えないですね。
無愛想な小夜が神に対して嫌悪感丸出しにする描写は中々良かったです。小夜が吸血鬼であることを暗示させる描写は多めにあった方が、感情移入しやすかったかなあなんて思いました。
また、BLOODシリーズには巻き込まれ系キャラが大抵います。今作は保健医がそのポジションであるものの、小夜との交流が薄い。2人の関係は淡々として味気ないのもちょっぴり残念です。{/netabare}



映像面の表現法や構図には圧巻されるし、上映時間の少なさからいろいろストーリーは物足りない面もありますが、それもご愛嬌といったところ。セーラー服を着た少女が日本刀を使って怪物を倒すコンセプトの映像作品としては充分完成していると思います。この物語と小夜さんの続きを見たいです。
別作品の「BLOOD-C-the last dark-」は初代BLOODをリスペクトしたシーンがあるので見比べてみると面白いです。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 16
ネタバレ

四文字屋 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

BLOODシリーズの原点にして、最高にクールなこの劇場版は、押井カラーの暗さ残しつつ、神山健治脚本が、シンプルでスピーディで上出来なアクションホラーで、

本編自体が短いから、息つく暇もないぐらいの早さで、
ベトナム戦争当時の東京郊外の夜の闇の中、
異形のヴァンパイアと太刀もつ小夜の肉弾戦が、
リアルかつグロテスクに繰り広げられる。

日本刀を振り回す、決して美形でない女の子(?)が好きなら、
そして当然だけど、血が飛び散るのがOKなら、
これは一度は見ておかないと。

何しろ、私の場合、最初に大スクリーンでこれ見ちゃったせいで、
のちの、このシリーズの実写版もTVアニメ版も、
全然心に響かないぐらい、
強いインパクトをくれた傑作で、
最近では、意外と公開当時ほどには評価されていないのが残念。

特にTVアニメ版では、
{netabare}主人公にいろいろ伏線盛り過ぎたうえに、
TVスタイルに小奇麗なキャラデザになっちゃって、
さらには当然のように日本刀とか血とかに意味づけしたりで、
アニメ的お約束な中二設定しまくって、{/netabare}
まあ随分とシラけさせられた。

作品中では、日本刀を使う旨味が実によく描かれているのが秀逸で、
サーベルや銃の攻撃が点の殺傷力であるのに対して、
{netabare}日本刀の強みである、線または面の攻撃力、すなわち、
敵の急所を突けなくても、切り払うことで破断面積が多く稼げるならば、
結局失血死に至らしめられる、という、
戦国殺法=実際、日本刀での斬撃には、腿とか腕とかを狙って刃こぼれを抑えながら敵を出血で撃退する、というのがあって、
この殺法にのっとった、大量出血をさせることによって敵を殲滅する殺し方が、
ヴァンパイア相手には有効だというところがきれいに描かれていて、
これが活劇としてもみごとに作画に反映されて、{/netabare}
画面を引き締めてくれるので余計に気持ちいい。

ほとんど唯一のギャグシーンである、
{netabare}「Fake!!」って小夜が叫ぶシーンも、
対敵中でのんびりしてる間もないんで、
見てるこっちも一緒になって前のめりになる始末で、{/netabare}
まあとにかく、オチも含めて、スタイリッシュでクールなんである。

実写版やTVシリーズ見た方には、
ぜひこの世界観を味わって頂きたい作品。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 18

70.7 5 日本刀アニメランキング5位
LUPIN THE IIIRD 血煙の石川五ェ門(アニメ映画)

2017年2月4日
★★★★☆ 3.9 (70)
350人が棚に入れました
タイトル通り石川五ェ門をフィーチャーした本作では、若き五エ門が最強に目覚めるまでを描いていく。

声優・キャラクター
栗田貫一、小林清志、浪川大輔、沢城みゆき、山寺宏一

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

野心はあるが評価がついて来てない

アニメや漫画は残酷である。良い作品が必ずしも大ヒットしたりするものではないし、一生懸命頑張ろうが、手を抜こうが評価は人それぞれである。

料理や服装の好みと一緒で、基準がないからだ。

そのタイトルはルパン三世でもほぼ同じ事が言える。

作画やキャラクターには言うことなし。

「次元大介の墓標」に引き続き、より原作に近寄ったルパン三世の劇場版アニメ。
正直言って、女、子供は全く来てないし、客もまばらでマニアック感満載で始まる。

徹底的にお子様を排した「ルパン三世」は、よりアダルトでエロチックでバイオレンスで刺激の強い本来のハードボイルドに戻った。

今回の主役は石川五右衛門ともあって、斬鉄剣による殺陣がメインの見せ場になっており、切り捨てる相手の肉の断面や血しぶきが飛び交い、規制など気にもとめない姿勢に製作陣の雄気と言うか、熱意を感じるいい作画だった。

ストーリーもいたってシンプルで、作画や演出だけにほぼ見せ場を任せるのは至難の業だと思うのだが、それを臆面もなく存分に引き出せていると思う。

最近は「君の名は。」のヒットに伴い、アニメに注目が集まっているが、非常に多様で幅の広いジャンルが増えて更にマニアックになっているのが面白い。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 13
ネタバレ

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

限界を超えた怪力、反射神経と斬鉄剣

 木こりのメタボな大男が現れてどこにいくかと思ったら、竜の描かれた客船から始まったです。舞台が日本だけれど、次元大介の墓標の作画で描かれた背景が独特で、日本が舞台なのか?初めは分からなかったです。

 五ェ門が出て来るだけれど、どっかの暴力団の用心棒で、斬鉄剣の鞘(さや)が、私もよく知っている物でなく普通の日本刀だったです。

 ルパンと次元、不二子がいつものように出てくるです。今までは髪が長く束ねていてもすぐわかる不二子だけど、キャラデザが変わっているようで、髪が短くなり外見も?で声を出すまでは、私に分かりづらかったです。

 初めに出てきた木こりの大男、ホークという名前でかなり危ないおっさんだったです。{netabare}誰がだかの依頼を受けて、ルパンを狙ってきたです。ここで、破壊工作をしていて五ェ門と3回にわたって場所を変え闘うです。

 この戦いで、ホークの人間離れした超怪力が、物語の半分近くは目立っていたです。2回目の戦いで五ェ門の斬鉄剣が見切られ、斧で鞘が破壊された殺されかけたシーンも普通じゃなかったです。

 ショックを受ける五エ門。斬鉄剣の鞘が知っている物になり、修行する五ェ門、動かず何をしているのか?です。暴力団の元に帰るけど、そこで五ェ門の凄まじい光景あったです。なぜ、「血煙の石川五ェ門」なのか?誰でもわかる光景の始まりだったです。数秒先の未来を読む能力に開眼したように見えるし、トリコに例えると予知のようなこのシーンは、思い込みを具現化したアルティメットルーティーンのようだったです。{/netabare}

 全体的にやはり五ェ門とホークだけど、それに絡むルパン、次元、銭形のアクションも見どころだったなぁです。
 立ち直る五エ門、ホークに追い詰められ、どっかの寺でのルパンと次元のシーン、最終決戦が迫力万歳だったです。にしても、銭形が要所要所に出てきて存在感あったです。
 TV、劇場CNでもルパンが言っていた「未熟なり石川五エ門」は、どこにあったのか?思い返すと私には、一回で気づかなかったです。言ってたかなぁ?です。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 8

takato さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

近年のルパン作品の最高傑作かも…。研ぎ澄まされた黒鋼の輝き。

アニメレビューをされてる笠さんの動画で興味を持ち視聴。結果、感謝感謝の良質な短編映画でした。尺はテレビ2話分くらいですが、剣劇アクションアニメとしては最高峰と言って間違いない。
 

というわけで、私の駄文なんかよりレビュー動画をご覧になってください、終わり、でも良いと思うのですが、傑作を見たら言いたがりになってしまうのでもう少しご容赦おば。


本作を一言で評するなら三隅監督がアニメをもし作ったら、という感じだ。三隅研次監督は、「座頭一」や「子連れ狼」などで残酷チャンバラ時代劇を確立した孤高の天才監督である。彼の描くチャンバでは、手足がポンポン飛ぶし、エヴァのこどく血がブシューと飛び散る。しかし、これみよがしなショック演出ではなく抑制すら効いた美学が活きているのでいやらしさや不潔感がないのが特徴である。


本作はまさに三隅監督の味わいで、シンプルながら抑制と開放が美に高まっている。あらすじは2行で書けるくらいで簡潔である。しかし、しっかりしたキャラ描写があるから凄く惹き付けられてしまう。敵役のホークは、ターミネーターかバキのキャラくらいイカれた強キャラな上に、余裕をもつ者の語らぬ自然なユーモアが冴えている。葉巻を吸うシーンが何度かあるが、思わずニヤリとさせられる上手い演出で引き算が実に良い。


五右衛門の剣劇アクションもメチャクチャ斬ってま~すっていうありがちな描写じゃなく、最小しか描かないから実にクール!。外国の方が見たら大喜びじゃないかな。


今回はあくまで五右衛門の回だから他のレギュラーキャラの出番は抑えぎみだが、やっぱり確立している優れたキャラたちだから少ない出番でも輝いてる。ボブ不二子は誰?って一瞬なったが。


結果、本作が与えている効果は良質な短編小説を読んだ時のような後味の良さと、名人の技前を見せつけられたような感嘆の吐息に通じている。つまらぬ物を斬らない五右衛門ってこんなに格好良かったのか…。


最後に、正直五右衛門に浪川さんはどうかと未だに思ってる。浪川さんは好きな声優さんだが、彼のいじられ要素が五右衛門にまで入ってきちゃうのはなんか違うかな。本作はそれがなかったのも良し!。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 14
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